日常

【救急医を志す】レジェンドインタビュー~医師 後期研修医~

渡瀬剛人 病院教授

2022/03/12更新

皆さんこんにちは救急総合内科です。
学生、研修医の皆さんにとって、将来の志望科を決めるのは、今後の人生を決める大きな選択ですよね。
私も随分悩んで進路を決めた記憶があります。
それぞれの進路にはそれぞれの良さがあり、どうにも決めにくい。
今回は救急を考えている学生さんと救急のlegendのお二人と対談形式にて、どのように救急の道を進まれたかを伺っていこうと思います。悩める皆様のお役に立てたら幸いです。

船曵知弘先生、渡瀬剛人先生(以下: 船曵、渡瀬)
(同席)大野孝生先生、星長俊輝先生(以下: 大野、星長)
(インタビュアー)SEED5年生、4年生メンバー

目次

プロセス
心構え
障壁
適性
教育
モチベーション
メッセージ

プロセス

・今回インタビューさせていただく経緯として、私が一年間病院実習をした中で、将来の志望科を聞かれる機会が多くありました。救急科に興味があると話すと否定的な意見を頂くことが少なくなく、周囲の反応に疑問をもつことがあります。そこで救急科で働く先生方に、実際の救急科の環境や仕事について伺いたいと思います。

先生方は、どのように救急科を目指されたのでしょうか。

―渡瀬:医学部に入ったときは、外科系志望でした。手を動かすことが好きだったからです。ただ、その後自分にとって今後のキャリアを外科系に決めようという決定打となる経験がなく、むしろ勉強会などでは内科の先生方にご指導いただく機会が多かったこともあり、内科志望に変わっていきました。

研修医になってからは、循環器やgeneralな診療を行う科、感染症科、総合診療科が特に面白かったです。救急に関しては、勉強していくうちに進路の選択肢に入ってきた、という感じです。僕が研修した病院はいわゆる野戦病院で、研修医が救急外来で活躍していました。(今から思えば病院の放置プレイでしたが…)当直中にはひやっとする、怖い場面に遭遇することもありました。だから救急科の勉強に熱が入りましたし、そこからだんだん面白いと思うようになりましたね。学生の時に、アメリカのERで4週間の実習をした経験も大きかったです。アメリカで初めて日本の救急医療にはない幅広さを持つER型救急というものを見て、日本でも同様のシステムがあってもいいんじゃないか、僕はこういうことをやりたいんだと思いました。当時の日本にはまだER型救急(北米型ER)をもつ病院が本当に少なかった中、自分はER型救急医になろうと決意しました。

―船曵:僕は小さい時から、外科志望でした。父が外科医で、単純に身近な職業だったからです。医学部6年生の途中まで外科志望でしたが、実習で外科医の実際の働き方や仕事内容を見て、現実的に進路を考えるようになりました。

僕の中では、外科というと大きく腫瘍、移植、外傷の3部門に分けて考えていました。その中で外傷に最も興味があったんですが、ちょうど血管内治療が行われるようになった時期ということもあり、外傷を切らずに治せるなら更にいいなと。外傷といえば救急外科の出番、血管内治療というと放射線科の出番ですが、放射線科は患者さんを診る機会が少ないという点で迷っていました。また救急といっても、そもそも初めの診断が正確でないと治療に繋がらず、その先の道のりがすべて崩れてしまうと感じていました。だから救急科に進むにしても、まずはきちんと診断学を学ぼうと考え、その中で放射線科が関わる画像診断をベースに研修を行うことに決めました。(当時は現在の初期臨床研修制度と異なるシステムであった。)

・では、専門を選ぶ段階で10年、20年後を見据えていたということでしょうか。

―船曵:いや、それはないかな(笑)。そんなに先のことはわからないので。例えば外科を専門とする救急医にはロールモデルが沢山いましたが、放射線科を専門とする救急医の場合はそうではなかった。ただ、将来的に救急で診断、外傷、血管内治療のすべてをやりたいという思いはありました。特に画像診断はこの先、必ず重要になると考えていました。

・専門を選んでからのことを教えてください。

―渡瀬:研修が終わってからの2年間は、名古屋掖済会病院の救急科で勤務しました。その後さらなる経験とトレーニングを求めて、ER型救急を学ぶため渡米しました。3年間のresidencyの修了後は、いわゆるサブスペシャリティ(フェローシップ)としてER管理やオペレーションをメインに2年間勉強しました。その後はシアトルにあるワシントン大学で救急医として働き、合計で13年程アメリカでER医として働きました。

―船曵:まず大学病院の救急科に入局し、放射線科で2年間研修を行いました。その後の進路としては救急科に戻るところですが、放射線科研修の中で実際に患者さんを診る機会は少なかったので、内科で少し経験を積んだ後に救急科での研修を始めました。しかし放射線科医としては2年しか経験を積んでいないことになるので、医師6年目の時に別の病院の放射線科に移りました。その後大学病院に戻り、研究をしながら救急科で勤務しました。その後は済生会横浜市東部病院で救急科を専門にしながら放射線科としても勤務していました。

心構え

・渡瀬先生は過去のインタビューで、救急医のイメージを変えたいとおっしゃっていました。実際に働く上で、他科との関係で感じることや心掛けていることは何でしょうか。

―渡瀬:救急診療は、自己満足であってはならないと考えています。自分は頑張っているんだ!という自己満足な気持ちがある限り、他のスタッフや患者さん、組織からは認められないと思います。患者さんや病院、地域にとって、我々救急医が存在して「助かった~!」と思ってもらえる存在であるべきです。救急医というと、他科からは「振り分け屋」と言われることがあります。確かにそういった一面があることは否めませんが、「振り分け屋」+αの役割を担うことが大切なのです。アメリカで経験してわかったことですが、ER型救急の守備範囲は非常に広いです。1次~3次救急の患者、眼科領域、耳鼻科科領域、産婦人科領域、(比較的丸投げされることが多い領域)なども含め診察・診療した上で各診療科にコンサルトし、専門家医師とディスカッションします。初期診療をする救急医がしっかりとした診察や診断をしてその緊急性を見極め、必要とあらば各専門家につなぐことができれば、各診療科の医師から感謝されたり、認められていくのだと感じました。決して丸投げではいけないのです。現段階では、日本のER型救急において救急医はまだまだ伸びしろがあると思っています。幅広い臨床能力をもっと身に付けることが、今後の課題です。

―船曵:僕が前に勤務していた大学病院の救急科は、当時は北米型ERといいながらも実際は異なる現状にありました。産婦人科や整形外科の患者は、救急医を通さずに直接各診療科に送られていました。それを北米型ERと勘違いする救急医もいました。ただ、各自がきちんと役割を把握し救急科としてのシステムを充実させれば、他科から救急医が否定的にいわれることは決してないと思います。僕が藤田医科大学病院で勤務し始めてから半年程たちますが、ER型救急がやれていると思いますし、まだ改善点があるとも思います。

―渡瀬:ER型救急を勉強し実践していくにつれて、キャリアが次のステージに移ることが予想されます。次のステップとして何か得意分野を追求する欲にかられることが多いです。俗にいうサブスペシャリティですね。アメリカではこれをフェローシップと呼び、自分の興味ある救急関連分野を追求できます(例えば、私にとってはそれがERの管理・オペレーション)。ER医としての実力はしっかりと発揮しながら、自分のニッチとなる分野を極める、それが実現できれば稀な存在になれるんじゃないでしょうか。しかし、気をつけないといけないのはニッチなことだけを追求してER医としての実力を失わないことです。

また他科に認められる上で、臨床の実力はもちろん大切です。しかしそれに加えて、顔のみえる関係を構築するのも重要だと、この年齢になってより実感します。当たり前ですけど、人間というのは、知らない人と仕事をするのと、普段から面識のある人と仕事をするのとではやりやすさが変わってきます。救急科は院内すべての診療科と関わるので、日ごろから積極的に人間関係を作っておくことがとても大切です。

障壁

・学生時代に将来の進路として救急医を考えていた人が、研修医になってから志望科を変えてしまうこと多いと聞きました。志望科が変わることはよくあることだと思いますが、救急の場合は特に多いように思います。救急科は研修医がたくさん活躍する場であるにも関わらず、実際に救急医になる医師が少ない理由をどう考えますか。

―渡瀬:これは若手医師に聞こう(笑)。

―大野:自分のイメージしていた救急と違ったとか、理想と違っていたとか、怒られて嫌になったとか、色々な理由が考えられます。怒られて嫌になるという理由に関しては、他科と救急科では研修医の扱いが異なることに原因があるんじゃないでしょうか。他科では、研修医はローテーション中でも「お客さん扱い」されることが少なくありません。一方、救急科では研修医は実働部隊として、救急科の一員として働きます。研修医が間違ったことをすれば、正しい道に導くために怒ることもある、実技を伴う環境です。そういった中で、上述の理由で救急から離れて行ってしまう人がいます。また、ER型救急をもつ大学病院は少ないことと、市中病院で研修する医師が多いというギャップがあるのも要因のひとつかなと考えます。学生時代に3次救急しか経験していなかったり、ER型救急の実際を知らない研修医も多いです。そうして研修医として働き始めてから、イメージとのギャップに苦悩する人が少なくないように思います。

―渡瀬:星長先生は初め後期研修で救急科専攻ではなかったけど、どうして救急専攻に変えたの?

―星長:僕は3年目から1年半、脳神経外科の手術室メインで勤務していました。4年目の途中から救急科専攻に変更しました。研修医時代は自分が主体的に関わることができる救急の当直が楽しくて、他科にはない診療のやり方に魅力を感じていました。後期研修の進路を決める上で、救命により近い診療科を考えました。僕のいた病院では脳神経外科が理想に近かったこともあり、脳神経外科を選択しました。結局3年目以降も、月2回ある当直が楽しくて(笑)。脳外科として呼ばれたときにERに行くよりも、当直の間はずっとERにいて、研修医と一緒に診療にあたる方が楽しかったんです。救急科は他科との関わりが多くあることや、全身を診る面白さがあります。

―渡瀬:初めから将来の診療科を決めている研修医もたくさんいますし、実際に研修して合う合わないを判断する人も大勢います。救急はgeneralかつ緊急度の高い領域なので、それが合わない人も当然います。逆にそれが合っていて、楽しいと感じる研修医もいます。つまり、元々の性格や経験が専門を決める大きな要素になるということです。働いてみて、合う合わないことに気が付くことも大切な経験です。

―船曵:色々な環境で働いてみると、色々な上司や仲間に出会います。その中で、この人を目標にしたい、一緒に働きたいと感じる人に出会うと、そこで働きたいという気持ちが生まれます。ひとつとして、日本の救急の現場には、そのような存在が少ないのかもしれません。

適性

・(4年生から)先生からご覧になって、こういう人が救急医に向いているというのはあるんでしょうか。

―渡瀬:割り切れる人かな(笑)。救急は限られた時間の中で、限られた情報をもとに判断し行動しなければなりません。それを許容できる人じゃないと、やっていけないと思います。既往歴、アレルギー歴、検査結果など、すべての情報が揃っていないと前に進めない人にとっては、難しい現場です。いい意味での適当さ、神経の図太さが必要です。

教育

・救急の現場は教育の場でもあると思いますが、先生方はどのようなことを心掛けて教育にあたっていらっしゃいますか。

―渡瀬:研修医の先生には、自分の力で考えてほしいなと考えています。研修医の先生がfirst touchを行って上申するときに、自分なりの考えを伝えてほしい。例えば鑑別はどうで、方針はどう考えているのか、それが上級医に伝わればフィードバックしやすくなりますね。恥ずかしがらずに、どんどん出してほしいです。

―船曵:プロセスを考えるというのは、すごく大切ですね。何を考えて、どういうことを知りたくて、所見がこうだから結論がこうだ、という過程です。同じ主訴でも、全く同じケースはありません。目の前の患者さんに関するプロセスを考えていないと、他のバリエーションに対応できないですから。

モチベーション

・医師は何歳になっても勉強を続けなければならないと思いますが、経験豊富な先生方が、勉強するきっかけやモチベーションは何でしょうか。

―船曵:僕が医師6年目くらいの時に放射線科で勤務していた時、50歳代くらいの上司がいました。その先生は読影レポートを書くとき、色々な文献や資料などで細かく調べながら書いていました。それほどのキャリアがある先生であれば、調べずともレポートを書けると思ったのですが、その姿を見て奥深さに気づきました。その姿勢は簡単に身に付くものではないですし、長い間放射線科に携わってきた先生方と対等に仕事をすることは、並大抵のことではありません。僕は放射線科と救急科の両方を専門にしようとしていた訳ですから、尚更難しいと思いました。ですからせめて、放射線科の中での救急の部分だけでも、武器として磨いていこうと考えました。この分野については船曵に頼りたい、と周りに認識される存在になれるほうがいいですよね。自分の強みを磨くために、勉強やトレーニングをしようと思う訳です。今でこそ、救急と放射線といったようにダブルボードをとりたい医師は多くいますが、渡瀬先生のようにどんな患者にも対応できる救急のオールラウンダーというのも、強みの一つと考えられます。

―渡瀬:勉強を続けられるかどうかは、感受性の有無によると思います。感受性が鈍ってくると、自分の置かれた状況の変化、周りの成長、新しい医学知識・技術の出現に気が付きません。そうなると、勉強する意欲が出ません。また、答えが出ていない分野については、未だに悩んだり、面白いなと思えてモチベーションを持ち続ける刺激となりますね。

メッセージ

・最後に、救急医を目指す皆さんにメッセージをお願いします。

―船曵:何事もやってみないとわからないですね。初期研修は皆平等に2年間で終わってしまいます。その時間をどう過ごすかは、その後の何十年という医者人生に影響すると僕は思うので、大切にしてほしいです。その中で救急が楽しいと思ってくれれば、それは嬉しいです。

―渡瀬:僕は未だに救急というものに飽きていません。救急の症例、ER管理、他科との関わりや、更に行政との関係においてもまだまだやれることはたくさんあります。興奮と充足感を満たすライフワークとしては非常に面白いですよ。

人生は選択の連続です。
自分にとって最善の選択とは、何なのでしょうか?
いろんな世界をみて、いろんな人と会って、実際に体感してみましょう。

そして、積極的な選択をしていきたいものです。

当院では十分に感染対策を行った上で病院見学を受け付けています。

見学申し込みはこちらから!

当科の公式LINEでは勉強会やイベントの案内を定期的に送信しています。
友達追加は下記ボタンから!

友だち追加

シェアする